もともとは下総国、徳川家康が江戸へ入府した後、今の深川は武蔵国となりました。
深川の名称は湿地帯だった現江東地区を開拓していた「深川八郎右衛門」の姓に由来しています。
3代将軍・徳川家光の時代から富岡八幡宮の門前町として加速度的に発達、
のちに木場が配されて商業開港地域となったり、深川岡場所も設置されて花街となります。
江戸の辰巳方角にあることから、深川の芸者は辰巳芸者と称され、粋な気風が良いとされています。
両国橋が架けられたのちは江戸図にも載せられるようになり、正式に「江戸」に組み込まれます。
材木商人として財を成した奈良屋茂左衛門や紀伊国屋文左衛門も一時邸を構えました。
1702年の大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入りをした際、
一向は富岡八幡宮の前の茶屋で最終的な打ち合わせのための会議を開いたと伝えられています。
1878年、東京に区制が施行され、「深川区」が区名に正式採用されました。
この深川区は現在の江東区のうち横十間川より西側の地域全てを指し、
現在の江東区深川よりはるかに広範囲の地域です。
現在では湿地帯の面影もほとんどなく、一般的にはマイホームを持ちやすい住宅地、
住まい環境がいいといったイメージ、または深川めしなどの食文化、
カルチャー的な「江戸」を感じられる下町といったところでしょう。